よいではまいか

日日と感覚と琵琶が

ホルモンさんどうにかしてください

ドーパミン
アドレナリンノルアドレナリンコルチゾール。

などというものたちが、わたしたちの頭で分泌されており。
それらによってわたしたちは、やる気スイッチON/OFFしたり、うつうつぶつぶつしたり、しあわせだなあと涙をにじませたりなどするのだそうですって。
ね。

するとわたしが感じたであろう気分というものは、パレットにくりだされた絵の具のごときもので、どの成分が何パーセント何パーセント出てるからいまはこういうふうな具合ですよとホルモンが配合された結果なんでしょうね。

そういう捉え方をするならば、例えばわたしがいまこんなにかなしくむなしくやるせないのはなんたらなんたらホルモンがこのくらい出ちまってるせいなんだわ、ただそれだけなんだわ、って考えられる。
わたしがどんな気持ちになろうと、それはホルモンのしわざであり、言うなれば思いこみであり気のせいなんだな、なんて。
自分を分解して不具合起こしてる部分を客観視できたような。

自分の感情が、自分の範囲外で起こっている事象だと認識できたかに思える。
自らの責任がそこに発生しないかのように思える。


ひとりでのろのろと考えごと(というよりもただの脳内あそび)をしていると、思いもよらずあやしげな方向に沈んでゆくことが、ままある。
ほんとうはこんなこと感じたり考えたりなんかしたくもないのにな、なんておもいながらも、沈みゆくものをとめられない。
沈んだままでは、苦しい。

そういうとき上記のように、まるで伝染病だか天災に襲われたくらいに心底おもってしまえたならば、とてもどうでもよくなります。

そんなことをくりかえして、わたしは自分の感情気分情緒なるものが、半分以上はわたしのものではないと、つとめて認識するようになどしています。
半分以上どころじゃない、な。
ずっとずっと多くの部分が。

それでも渦中にいるときは溺れてしまうんですけれど。


もりや

なやまない

行動力あるとかやる気に満ちてるとかそういうんじゃないのよ。
考えてるだけの時間って、ただもうもったいないでしょ。

あまりにさっくりとして、ほんとにな、という昨日のことば。


ここのところ、人に会っている。わりあい。
自分がどうにももたついていると、会いたくなる。

日日という海原のさなか、つりかけた足をかばい奇妙なポーズでどうにか息継ぎしているわたしの目先で、すらすらと泳いでいる人を、なにか珍妙な生きもののように、みる。
なぜそんなに難なく進んでゆけるのですか、ききたくなる。

ある人いわく。
確信とか決意とか、すごくやりたいからそうしてるとかではないの。
ただ止まっててもなんにもならないでしょう。
ひとまず合ってるかどうかもわからないうちにやっちゃって、それから次のこと考えるの。
いやじゃなきゃ、それなりに続いちゃうものだし。
もし違うと思ったとしても、始める前とは別の選択肢が発生してるはずだから。


たぶん、自分がすいすいがんがん泳いでいることに自覚がない選手には、さっぱりどうでもよい話。



もりや

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