よいではまいか

日日と感覚と琵琶が

それは、なぜでしょう

なぞなぞの本が、好きでした。
それは小学生のころ。

かといって、熱心に解こうというんでもなく。
そそくさとページをめくって、答えをみていた。
なぞなぞの答えを知ると、安堵した。
逆にいうと、答えがわからない状態が、やたらにおそろしかった。
どれほど離れているのか検討もつかぬ不確かな目的地へいきなさいと、ただひとり、暗い夜道を歩かされるような心もちに近かった。
背後になにかがいるような、追いかけられているような焦燥感を勝手に感じてどぎまぎしていた。
答えをみれば、その不安から解放された気になった。

ほ。
と、ひと息つけるのだった。

そんななのにまた懲りず、新たななぞなぞをみてしまう。問われる。おそろしくなる。ページをめくる。答えをみる。
その緊張と解放のループを、こわいものみたさで、本を読みつぶすまで続けるのだった。


◯◯◯って、なあんだ。


この字面に、いまだに不穏さを感じてなりません。
背中がぴりぴり、毛羽だつようです。
わからないことがわからない状態であり続けるというのは、やっぱりどうにもこわいものです。



もりや