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よいではまいか

日日と感覚と琵琶が

最終章は金庫のなかに

よしなしごと
自分の人生なるものが、さも自らの選択の連続でのみ進んでゆくものだと考えてしまうと、わたしはけっこうつらい。
なんか責任重いよね、どーしよどしよ、と無駄に慌てる。
でも、脚本家と演出家と役者の三者による共同制作だと思えば、すこし気楽。

わたしは役者です。その役柄には設定が与えられている。すがたかたち、性格、欲望、役割、もろもろ。
どうしても気に入らない設定がある場合には、脚本家に不服申し立てして修正してもらうか、それが難しければ演出家にそれを補えるほどすばらしい演出をお願いする。
役者に渡された脚本には、直近のことしか書かれていない。その意図もわからないうちに時間に迫られて演技をし続ける。
で、役者が不信のせいで暴走し勝手な演技を始めたら、演出家は激怒する。無理矢理軌道修正する。ひずみがどこかに生じるかもしれぬ。
役者にできることは、なんかおかしいなとかこれでいいのかなと疑わしくなったとき冷静に脚本家と演出家に問い合わせること・まあうまいこと作ってくれてるに決まってるから大丈夫だろと信頼して役に浸りきること、なんですかね。
なんかつらいことあっても、これは脚本家が物語のスパイスとして入れただけだから!とか絶対このあとたのしい急展開くるから!と、へし折れずに劇を続行できる。


人生を俯瞰してみることは、役者にはできない。
役者によっては劇の途中で自分に求められている役割に気づくこともあるかもしれませんが。
でも基本的に、役者はただ演じるしかない。
だけど、いまのうちにできるちょっとたのしいこととして、ハッピーエンドを作って演出家に渡してしまうのは、いいかも。
あまり事細かではない、ざっくりと、とにもかくにも幸せに終わりますよ、という閉幕。
そうすれば、そのハッピーエンドを迎えるためにどうすればいいのか、どんな道筋がそこにつながるのか、工夫しながら演技していけそう。

ハリーポッターの最終章も、ずいぶん初期の段階で決まっていたらしいですしね。




もりや